第六章の人々 天アメ之ノ日ヒ矛ボコノ命ミコト_ の「神話」と「古代史」がよくわかる本_走进

admin2025-04-26  22

第六章の人々 天アメ之ノ日ヒ矛ボコノ命ミコト_      の「神話」と「古代史」がよくわかる本_走进

第六章の人々 天アメ之ノ日ヒ矛ボコノ命ミコト_ の「神話」と「古代史」がよくわかる本_走进
【第六章の人々】
  天アメ之ノ日ヒ矛ボコノ命ミコト
  逃げた妻を追って へやってきた新羅国の王子
 新羅国の王子として生まれながら にやってきて、神として信仰されているのがアメ
ノヒボコである。『古事記』に記されたその渡来の経緯はユニークである。
 ある女が沼のほとりで昼寝していたところ、陰部に日光が差し込み、赤い玉が生まれ
た。アメノヒボコがこの玉を手に入れると、玉は美しい女アカルヒメとなったので妻とし
た。だが、妻がよく尽くしてくれるのに慢心したアメノヒボコが些さ細さいなことで激し
く罵ののしったところ、親のもとに帰ると言って小舟に乗って に渡ってしまい、難波
に住み着いた。
 アメノヒボコは妻を追いかけて に来たが、渡りの神に遮られて難波に渡ることがで
きず、但馬たじま出いず石しに上陸した。やがてその地の女性と結婚して子供ができ、子
孫は神功皇后の母になったという。名前の一字「矛」とは武器の一種であるが、古代の刀
や矛は太陽神の依り代でもあった。アマテラスを天岩屋から引き出す際にも、「日ひ矛ぼ
こ」が重要な役割を担っている。「天」「日」、それに「矛」のついた名であることか
ら、アメノヒボコは太陽神祭祀の呪じゆ具ぐの神格化であり、そこから太陽神と同じよう
に信仰されてきたと思われる。
『 書紀』では、アメノヒボコはまず播はり磨まに住み、そこから宇治川を遡って近
江、若狭を経てから但馬出石に住んだとされている。これは、渡来系の人々が多かった地
域をなぞっており、この足跡の根底には、新羅と の交流があると考えられる。但馬で
は、現代でもアメノヒボコが国土開発の神として信仰されている。
 また、『播磨国風土記』では播磨国にやって来たアメノヒボコが、オホクニヌシの別名
としても知られるアシハラノシコヲと土地を巡って争う「国占め」の競争を繰り広げてい
る。
 韓から国くによりやって来たアメノヒボコがアシハラノシコヲに宿る地を求めたとこ
ろ、アシハラノシコヲは海上に宿ることを許した。そこでアメノヒボコが海水をかき回し
て留まったところ、この荒々しい様子を見たアシハラノシコオが慌てて国占めの儀式を行
なって、土地の占有を示したという。
 アメノヒボコが但馬に至った経緯についても、アシハラノシコヲと黒 を投げ合い、ア
メノヒボコの黒 がすべて但馬に落ちたためとしている。
 渡来してきたアメノヒボコは、神宝を携えていた。
『古事記』の記述では二個の玉、波なみ振ふる比ひ礼れ、波切比礼、風振比礼、風切比
礼、奥おき津つ鏡、辺津鏡の八種であるが、比礼とは肩に掛ける薄い布のことで、これに
は災いを防ぐ霊力があるとされていた。
 これらの名前から察するに、八種の神宝は波や風を鎮め、湾や岸の霊を祀る神具であろ
う。海を渡ってきたアメノヒボコは、漁業や航海の安全の神ともされる。兵庫県の出石神
社はアメノヒボコを祭神とし、御神体を八種の神宝としている。一方、『 書紀』の記
述では神宝は七種で、羽太の玉、足高の玉、赤石、刀、矛、鏡、熊の神ひも籬ろぎ一ひと
具そなえとされており、こちらは太陽神を祀る神具である。
 アメノヒボコは、滋賀県の鏡神社や陶とう器き神社でも祀られている。渡来してきた神
として、同じく朝鮮半島から渡来した文化である陶器づくりの守護神にもなっているので
ある。
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